HIROAKI SATO

「なぜエンジニアの道を進むことになったのか?」と振り返ってみると、子どもの頃から機械いじりが好きだったからかなと思ったりします。

小学生の頃に買ってもらった5段変速のギアがついた自転車を買ってもらって、それを乗り回したりするのはもちろんですが、その自転車をいじっている事も好きでした。 電動で開いたり閉じたりするライトの電球を変えたり、ネジを締め直したり、チェーンを磨いたり油をさしたり…そんなことが好きでした、その頃からパンク修理も自分で出来るようになりました。

音楽については、姉が借りてきた邦楽・J-POPをダビングして、自分の部屋にある、モノラルスピーカーのラジカセで聴いていたことから始まり、その後仲良しの友達の影響で洋楽も聴くように。

友だちの家にあったコンポに、簡単なグラフィックイコライザー(以下「グライコ」に略)がついていて、それをイジるのがすごく好きでした。今思うと、5つほどしかツマミのないとってもチープなグライコなんですが、曲をかけながらそのツマミを上げたり下げたりして音質を調整していました。 その友だちは、中2の頃、さらにラックタイプのグライコを購入したんです。20個くらいツマミの付いた本格的なやつで、それを二人で、「気持ち良い低音が聞こえないかな」とか、「歌がもっと前に出るには?」とか、「ベースが大きすぎるから下げつつも、でもドンドンいわせるには…」と、自分たちで課題を作り、理想の音に近づけるためにグライコのツマミをイジっていく。その友だちと、日々そんな研究をしていました。

そのうちに、「このツマミをいじると、こんな音に変わるな」ということがわかってくるようになり、より音を作ることが楽しくなっていくんですね。「この曲の音はもっとこうだろ」などと友だちと意見を交わしながら音を作るということを、相模原の団地にある4畳半の一室でずっとやっていたんです。 当時はファミコンが大流行し、同級生の多くはゲームに熱中だったけど、僕たちはグライコに夢中だった(笑)。

高校生になると、アルバイトをして買ったコンポで色々な音楽を聴きながら、 CDに付いているブックレットの巻末を読むのに興味を持つようになりました。そこでレコーディングエンジニアという仕事があることを知ったんです。そして進路について考える頃には、エンジニアになるべく専門学校に入ることに決めました。

就職活動の頃はバブル崩壊直後で、第2次ベビーブーム世代でもあるため、就職はなかなか難しいと騒がれていたけど、私はそう感じることもなく、日本屈指のリハーサルスタジオ「芝浦スタジオに」に入社することが出来ました。が、若気の至りもあり、1年もしないうちに辞めてしまい、19~22歳は短期間で音楽に関する色々な仕事を経験しました。
リハーサルスタジオ、結婚式の音響、ライブハウスの PA、アマチュアユースの練習スタジオ、PAのオペレーターのアシスタントとして新人バンドの地方ツアーに同行したこともあります。

専門学校を卒業してから、かれこれ2~3年ではありますが、音楽に関係する仕事を中心にいろいろ経験してみましたが、やっぱり私は、音をじっくりいじれるレコーデ ィングスタジオの仕事が一番やりたいことだったということに気づきました。そして「Musicman」というスタジオが紹介されている本を当時勤務していたスタジオで見たりしていて、弦 (ストリングス)まで収録可能な広めのスタジオを選び片っぱしから電話をかけ、「働かせてほしい」と直接交渉をしました。
連絡したいくつかのスタジオの中には研修させて頂いたスタジオもありました、その中でも割と出来たばかりで綺麗なスタジオでしたし、いいお話をいただいたのがランドマークスタジオだったんです。
次に入ったところに骨を埋める覚悟でスタジオを探していたところで、ご縁のあったランドマークスタジオに入社したのは1996年。私が22歳のときでした。

ランドマークスタジオ開設3年目頃からアルバイトとして働き始め、1999年に経営が移行する現在のランドマークスタジオの運営会社である株式会社スキップファクトリーの発足から入社し、エンジニア歴としては25年以上です。色々な方と仕事がしたい気持ちがあるので、メジャーアーティスト(*1)からアマチュアの方、ジャンルもポップスからロック・演歌・ジャズ・フュージョン・クラシックまで、多種多様な仕事をやらせていただいています。作業については最終的な仕上がりに対するこだわりがあるため、レコーディングやミキシングだけでなく、マスタリングまで一貫して請け負うことも多々あります。

アシスタント時代にも、どんなジャンルでも、プロもアマチュアも興味を持って現場に入り学んできたし、得意不得意とか好き嫌いで音楽を選ぶことはなく、偏りを持たないでやってきました。

節操ないと言われればそれまでですが、今では分け隔てなく取り組んできたことが強みになっているように感じています。

“演者が求める良い音を共に探していく”

仮に演者がイメージする音を言葉で伝えられない時も、そのイメージをできる限り汲み取って音を作って提示してあげられるようなエンジニアに…

「こうですか?」

「そう!それ!!」

と音で意思疎通ができるようなエンジニア、音で返してあげられるようなエンジニアでありたいと常に思いながら仕事をしています。

ちなみに、小学生の頃からグライコで遊んでいた友だちはその後、某レコーディングスタジオに就職し、現在もマスタリングエンジニアとして活躍しています。何度も一緒に仕事したこともあるんですよ。

手がけた主なアーティスト・作品
向谷実、神保彰、田代万里生、濱田めぐみ、ジェイクシマブクロ、藤あや子、 松田聖子、三山ひろし、田所あずさ、AKB48、寺島レコード(Jazz)作品、コンサート・ライブ、劇伴作品、ミュージカル作品、新作歌舞伎作品 ほか

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